今年も多くの被災地をはじめ国立劇場でも政府主催の追悼式が行われておりました。
自分はちょうど家に戻ったのが14時頃で、テレビをつけながら14時46分を迎えさせて頂きました。
7年という時を経て、復興は少しずつ進んでますが、家族や友人、職場の同僚、多くのものを失ってしまった方々が、今でも辛い中テレビに出て、当時の思い出したくない事までも、伝えてくれておりました。
『なぜ自分だけが生き残ったのか。自分が見たもの、経験したものを伝えて行くため。』
『避難所は命を繋ぐためのものだったはず。でも繋がらなかった。』
『お墓をお参りしても妻はそこに居ない。海に潜ることが、妻へのお参り。』
『なんであの時、早く避難しようって言わなかったのか。』
聴いているだけでも、胸が詰まります。
被災した人たちはもっと苦しいはず。
それでも1日1日を頑張っている。
なんの行事の時であったか、今、思い出せないのですが、
東日本大震災が発災してからしばらく、全国的に様々な行事を自粛する動きがありました。
当時、愛知県でも同じようなことがありました。
しかし、一定の期間が経った時、大村知事が言っておりました。
正確ではないですが、このような感じの事でした。
被災した方々はとても辛い。
周りの自分たちが、いつまでも辛い、悲しいと、経済の足を止めてしまっていたら、復旧復興も止まってしまう。
自分たちも頑張らなきゃ。
確かこのような事。
そして色んな行事が愛知県でも再開され出したと記憶してます。
自分も来週からまた頑張ろう。
すいません。日記みたいな締めくくりになってしまいました。
m(__)m
柳沢英希でも、Facebookを書いてますので、気が向いたら申請もお願いしますm(__)m
iPhoneから送信
2018年03月11日
東日本大震災発災から7年を迎え
posted by 柳沢 at 22:25| Comment(0)
| 活動ブログ
この記事へのコメント
コメントを書く